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絵葉書 差出人一覧
差出人名は特定されていない人名、推定された人名を含みます。
また、差出人名判読不明および特定できていない葉書が多数ありますので、お分かりになる方は当館までご連絡くだされば幸いです。
あ行
青戸信賢
明治34年第七高等学校造士館講師。翌年教授。明治40年名高工教授。大正9年金沢工業専門学校初代校長。第2代土木科長。
足立藤一
天野毅彦
昭和3年北海道帝国大学工学部土木工学科卒、阪神急行電鉄入社
K. Ando
伊久秀春
石川栄次郎
名古屋電灯、大同電力、日本発送電の3社を通じて木曽川などでの水力開発に従事。戦後は中部電力副社長、次いで電源開発理事に就任し、佐久間ダム建設工事に関った。
『
寝覚水力発電所建設工事
』土木建築工事画報 第14巻11号
市江良夫
伊藤重敏
伊藤千代太郎
稲田隆
大正5年鉄道院、6年鉄道院技手、8年九州帝国大学助教授。12年よりドイツ、イギリス、アメリカに留学。5年1月帰朝。3年九州帝国大学教授。
『
鐵道工学 上・下巻(総合工学全集2・土木工学科、13巻の7)
』 昭和12,17年
入江博
宇田忠三
江原廉一
大久保忠敬
東京帝国大学工科大学助教授(官報. 1902年01月09日)
『
英國に於ける綿絲紡績の機械業に就て
』機械學會誌 8 巻 14 号 (1905)
大河戸宗治
鉄道省。1907年より2年間欧米留学。1918年東京改良事務所長。1929年鉄道省工務局長。1931年退官。1932年から1938年まで東大教授、攻玉社理事、校長を歴任。 1937(昭和12) 年~1938(昭和13) 年土木学会会長。
『
土圧力の強度及び其の働点の位置に就て
』土木学会誌 創刊号 大正4年2月(1915年)
大島錬達郎
大谷英
大槻勝雄
昭和7年北海道帝国大学工学部土木工学科卒、鉄道省に入る
大坪喜久太郎
九大卒業後、同大助教授。1942年(昭和17年)北海道帝國大學工学部教授(水理工学・河川工学講座を担当)。1946年(昭和21年)同工学部長。1960年(昭和35年)北海道大学退官。同名誉教授。室蘭工業大学3代学長に就任。在職中に逝去。
小川勝
か行
笠原寿治郎
亀田恵
加山稲輔
T.Kawaguchi
(川口虎雄?)
大学卒業後、熊本県、福岡県技師を経て1900年第五高等学校教授。1906年官制改正により熊本高等工業学校教授。土木工学科長を経て、1911年第2代校長。1920年新設の広島高等工業学校長。1936年退職。
河原常次郎
北沢忠男
明治40年名高工土木科講師、翌年教授。大正10年第3代土木科長。昭和16年徳島高工校長。昭和18年広島高工校長。昭和20年戸畑の明治専門学校校長。昭和23年岐阜工業専門学校校長。
木村石太郎
草■孝之
久保圓二
黒澤文雄
黒田勝美
黒田重治
昭和3年北海道帝国大学工学部土木工学科卒、大阪参宮急行電鉄を経て岡山県和気土木出張所長、満州国安東省土木庁ほか歴任
甲藤■
後藤季総
後藤徳次郎
小林員之輔
小山清孝
近藤鐵太郎
さ行
佐久間重良
笹森巽
大正13年九州帝国大学工学部土木工学科卒、鉄道省奉職
佐藤■
佐藤■■■
重住文男
T.Shima
下村忠治
白石鉄蔵
鈴木清一
清洲橋設計者 義弟 中島武 大正14年九州帝国大学工学部土木工学科卒、復興局土木部橋梁課勤務、昭和3年2月茨城道路技師、8年8月内務省土木局第二技術課、14年6月土木試験所兼務、18年3月千葉県土木課長となり、21年3月岐阜県土木部長を経て29年9月汽車製造(株)入社
『
水戸国道改良工事報告
』土木学会誌 第二十巻 第一号 昭和9年1月発行 (1934年)
清洲橋模型
三国橋
大利根橋
水戸国道
鈴木博?
國助?
関藤國助?
明治29年東京帝国大学卒業、高田商会に就職 明治33年渡独、ケルチング会社で暖房の計算や設計法他を学び、数ヶ国訪問後明治36年帰朝
衛生工業協会誌 22(3/4)1948-04
た行
高井正元
高桑健
1925年(大正14年) 北海道帝国大学教授(鉱山工学)
鷹部屋福平
九大卒業後、講師。1925年(大正14年)北海道帝国大学に工学部発足と同時に教授に就任。戦後、九州大学教授に就任。1954年(昭和29年)、防衛大学校教授
『
橋の美学(アルス文化叢書、17)
』 昭和17年
田口信治
竹内弌郎
武田直寿
竹内季一
鉄道庁・鉄道院技師。大正11年東京市道路局技師部長。13年東京鉄骨橋梁製作所常務理事。清水組技師顧問。武蔵高等工科学校(現・武蔵工科大学)校長。
田中熊彦
堤格三
土井助三郎
明治20年(1887)東京繊維工学校教授。山口高等中学校教授。明治32年9月~明治36年1月石川県立工業学校11代校長。明治38年4月~大正7年4月名古屋高等工業学校初代校長(胸像がある)。大正7年4月~大正13年12月大阪高等工業学校校長。従三位勲二等。
富樫凱一
関門国道改良事務所長、建設省道路局長、技監などを歴任し、1960年退任。1966年日本道路公団総裁、1970年本州四国連絡橋公団総裁。
年光十一
富時一嗣
富山進
な行
直木倫太郎
1899年 東京市に入り、東京港計画調査のため欧米に査察。
1905年 土木課長。1916年 大阪市港湾部長。
1923年 関東大地震後に帝都復興院技監・復興局長官。
1926年 大林組に入社し、取締役兼技師長。
1933年 満州国国務院国道局長に就任。水力電気建設局長・交通部技監・大陸科学院院長・満州土木研究会会長を歴任。
仲義夫
中島武
1931-33茨城県、岐阜県。1933-37長野県。1937-49内務技師。1949-53近畿地建企画部長、工務部長。1953-55中部地建海岸堤防部長。1955-56関東地建工務部長。1956-58中部地建局長。1958-59関東地建局長。1959-63首都公理事。1963-74横河工事副社長。1974-80地崎道路社長。 RCローゼ橋を世界で最初に実用化したといわれている。
天竜橋
中條教一郎
中野三郎?
昭和15年北海道帝国大学工学部土木工学科卒、南満州鉄道入社
中野深?
中野太三郎
中野端
中■■■郎
永矢三郎
西垣興吉
西川英吉?
西田精
02年京釜鉄道会社に入社。その後横浜鉄道会社、1908年東京帝国大学工科大学助教授。1910年から留学し、1911年九州帝国大学工科大学土木工学科助教授を発令され、1913年の帰国後、ただちに教授に就任。
西村開
野瀬正人
は行
長谷川敬一郎?
服部鹿次郎?
内務省土木局、東京府技師を経て1896年帝国大学工科大学助教授。1900年鉄道工学研究のため英・仏・独に留学。1903年教授。11年、九州帝国大学工科大学教授、1914年から18年まで学長。1919年、学制改革により九州帝国大学教授、1928年退官。
『
伯林高架及地下電気鉄道
』工学会誌 工学会誌 第24輯 275巻明治38年(1905年)
林桂一
住友別子鉱業所を経て、1912年九州帝国大学工科大学助教授。ドイツ・フランスに留学し、17年に帰国。同年に教授となり、1939年に退官。戦後は日本大学工学部教授もつとめた。
平田克己
広石一匡
Y.Furuya
降矢芳郎?
明治39年(1906年)京都帝国大学理工科臨時講師。明治40年(1907年)仙台高等工業学校教授。電気工学科長。明治44年(1911年)新設の九州帝国大学教授。電気工学主任。大正12年(1923年)同志と共に福岡市に九州電気工学校の設立を計画し、理事長兼代表者として創立の任に当たる。大正14年(1925年)九州帝大工学部長就任のため辞任。
星野文雄
堀正義
堀内■一
本間会治
ま行
前田奥蔵
増井彦松
松尾寛一
松田亮治
松原平八?
松本光夫
丸瀬正■
三■■
三浦
三浦宇三郎
三島?
三島卯四郎
内務省仙臺土木出張所内務技師
『
東北の港
』土木建築工事画報 第14巻 第8号 昭和13年8月発行 (1938年)
三島三右衛門
三瀬幸三郎
九州帝大助教授となり、イリノイ大学大学院〔大正5年〕修了。留学後の大正8年教授、ついで工学部長、弾性工学研究所長などを経て、昭和17年福岡建設専門学校長。
三田良二
村林保
室賀徳次郎?
明治40年名高工講師、翌年教授。
百武定一
『
京成電軌日暮里青砥間線路新設概要
』土木建築工事画報 第8巻第3号 昭和7年3月発行(1932年)
森田順次郎
や行
山川真吉?
東京帝国大学工科大学助教授(官報1903.1.27) 仙台高等工業学校教授(官報. 1907年02月19日)
山田登
山田陽清
1925年(大正14年) 北海道帝国大学教授(水工学第二)
山田益二
Yamanaka
山本卯太郎
日本で現存する最古の跳上橋である名古屋港跳上橋(登録有形文化財)等多数の跳上橋を設計
栄橋
隅田川駅跳上橋
芝浦跳開橋?
吉田葆
吉田仙之丞
吉田徳次郎
九大教授、1949年退官。この間イリノイ大へ2年間留学。我が国コンクリート界の父と呼ばれ、コンクリート委員会の委員長として25年間示方書制定に尽力しPCの普及にも貢献。、没後その功績を記念して「土木学会吉田賞」を設立。 1949(昭和24) 年~1950(昭和25) 年土木学会会長
吉田喜?
米元晋一
東京市で日本橋改築工事の設計・監督の主任技師として従事
ら行
わ行
渡辺秀幸
明治45年第八高等学校勤務、助教授を経て大正4年名高工助教授。大正6年大阪大林区署山林技手、大正11年北海道電力技師、昭和2年長野県土木技師。昭和17年台湾電力、戦後は森組取締役を務めた。
その他
土木三年生一同
■■利重
K.M.
金俊三
昭和橋(大阪)
吉町太郎一
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